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飛鳥京香/SF小説工房(山田企画事務所)

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義経黄金伝説■第五章

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YG源義経黄金伝説■一二世紀日本の三都市(京都、鎌倉、平泉)の物語。平家が滅亡し鎌倉幕府成立、奈良東大寺大仏再建の黄金を求め西行が東北平泉へ。源義経は平泉にて鎌倉を攻めようと

第五章 一一八七年(文治三年) 押し寄せる戦雲

■一 一一八七年(文治三年) 京都  
 
それから一年、文治三年、七月、京都。
後白河法皇と関白、藤原兼実が話していた。鎌倉と、平泉に対する政略である。
「兼実、どうすべきか。鎌倉の頼朝、しきりに義経捕縛の院宣を寄越せと申してきておる。頼朝はこの院宣を平泉に送り、王国の内部崩壊を起こすつもりじゃ。そしてその責任は朕、後白河におっかぶせるつもりじゃ。平泉の義経と秀衡は恨みを俺に向けよう。が、どうじゃここは頼朝がこと聞くべきか」
「さようでございますなあ、法皇様。ここは頼朝殿を立て、義経殿捕縛の『院宣』を出していただきましょう。そして、同時に、東大寺用途沙金を早く献納せよとの教条書を出しましょう」
「先に西行殿に、法皇様が申し付けたことも、確認いたしましょうほどに。こちら側も、秀衡と、義経に一押し必要でしょう」
「それは名案かもしれぬな」

■二 一一八七年(文治三年) 平泉 

すでに、西行法師は、伊勢にもどり、しばらく時間がたった。平泉にある義経高館(たかだて)を夜、郎党が訪ねていた。
「義経様、お館様(秀衡)がお呼びでございます」
「こんなに遅くにか」
「はい、何かお二人でお話ししたいご様子でございます」
 秀衡屋敷内で義経が秀衡に話しかける。秀衡は病床にある。
「秀衡様、お元気であられますか」
義経が挨拶をする。
「おお、義経殿か、よう来てくだされた。この秀衡があの世に召される前に、義経殿にお渡ししておきたいものがあってな。近くよってくだされ」
 秀衡は、自分の死期を感じている。

「これはこれは、何をお気の弱い事をおっしゃいます。秀衡様あっての義経でございます。さてはて、一体この私に、何をくださると言われますのでしょうか」
「さて、これをご覧ください」
 一片の絵図が、病床の秀衡から義経の手に渡される。

「こ、これは、御館(秀衡)様」
「見ておわかりのとおり、蝦夷の絵図じゃ。この絵図、祖父の代より伝わっておる。いわば藤原家の秘宝じゃ」
蝦夷の一部はすでに平泉王国の勢力圏にふくまれている。
「これをいかにせよと」
少しばかり、義経は眼をつぶり、息をつぐ。
「よいか、義経殿。はずかしながら、よいか。我が息子たちが、義経殿を襲うかもしれん。そのときは、この絵図を手にして逃げ延びてくだされ」
「が、しかし…。それは奥州藤原氏、平泉に対する裏切りではありますまいか」
「この老人の言うことは、聞くものじゃ。老人といえば、西行殿を知っておろう。あの西行殿が、きっと義経殿を助けてくれるはずじゃ」
「西行様が…」
「西行殿とは、北面の武士、佐藤義清の頃より、我々平泉、奥州藤原とはすくなからぬ縁であろう。それにのう、義経殿。残念ながら、後白河法皇様が、とうとう貴公追捕の、院宣を出された」
「何でございますと。あの法皇様が、私を追捕する院宣を」
 義経の顔色が変わっている。裏切られたか、この想いが義経をおそう。
「義経殿、安心されよ。この平泉に、秀衡あるかぎり、そのような命令聞きはせぬ。兼実様も非公式に、法皇様の意向を伝えに参ったのじゃ。あくまで、その院宣は、頼朝を怒らせないためのもの。それに、義経殿、いよいよ我が軍勢、の轡を整えまする」
「秀衡殿、本当に、我が兄者と、いよいよ、ことを構えるおつもりか」
「安心せられよ。我が軍団は鎌倉に引けはとりません。義経殿を中心に、奥州平泉十七万騎、轡を並べれば」
「いよいよ、奥州と鎌倉が戦いか……」
おのが運命を呪う。義経に安住の地はあるのか。その想いが体をおもくする。この秀衡様にいままでの恩をいかに返せばいいのか。
義経は、病床の秀衡をじっと見守っていた。

■二 一一八七年(文治三年)一〇月 平泉

 文治三年(一一八七年)一〇月二九日。秀衡は死の床にあり、枕元に泰衡、忠衡、国衡他の兄弟たちを呼んでいた。
「よいか、心して聞いてほしい」
秀衡の苦しい息の下から話し、息子たちは首肯した。
「跡目は泰衡に譲る。よいか泰衡、平泉王国を守れ」
 思いがけない言葉であった。泰衡は答えようがない。
「……」
 しかし、次の言葉が泰衡の心の中に、裏切りの心を植えた。
「源義経殿を頼りにせよ」
泰衡はすぐ反応している。
「それはどういう意味でございますか、父上」
 病床にいる父親に対して、怒りをあらわにしている。秀衡の言葉は、余計に泰衡を煽るのだった。そのいたらなさが、今度は秀衡の心を憂鬱にさせる。この泰衡が、平泉黄金王国を滅ぼすのか。なぜにこの父の想いがわからぬのか。
しかし、秀衡は言葉を続けた。
「義経殿を大将軍とし、その下知に従がうのじゃ」
「……」
泰衡は、さらに急に不機嫌になった。
「よいか、泰衡は不満であろうが、この俺が亡くなったという情報が入れば、鎌倉殿は必ず動く。鎌倉殿は、義経殿の誅殺が目的ではない。この平泉の黄金が目的なのじゃ。鎌倉、そして源氏、板東の武士どもはこの地の黄金をねらっている。絶好の機会なのじゃ。
よく聞け。泰衡。
それゆえ、義経殿を差し出しても、頼朝殿はこの平泉を攻めてこよう。心せよ、泰衡、忠衡、国衡、みな兄弟心合わせ、義経殿をもり立て、頼朝に対して戦うのだ。
藤原の百年が平和、後の世まで続けるのだ。
平泉黄金王国のこれからはお主らがになう。この仏教平和郷を決して板東の者ども、さらには京都の王朝に渡してはならん。この奥州の地を守りぬくのじゃ。
決して、頼朝殿の甘言、受け入れるではない。義経殿を差し出すのではない。よいな…。
これが俺の遺言だ」
劇抗した秀衡の声が急に途絶える。最後の気力でしゃべった。
「父上……」
 息絶えている秀衡に、息子たちはをかきいだいている。
 しばらくして
「どうする兄じゃ」
次男の忠衡が、たずねた。
「父上の遺言のことか」
「いや、そうではござらぬ。義経殿のことじゃ」
「お前はどちらの味方じゃ、忠衡」
 意に反して、答えはしばらく返って来なかった。
「無論、兄者じゃ」
 こやつは本当に私の味方なのか。安衡は考える。
「それならば俺が下知に従え」
「が、義経殿は」
「よいか忠衡、我らは、秀衡が子ぞ。由緒正しい子ぞ。それが義経ごときに従えると思うのか」
怒りながら、出て行く泰衡である。

 かわって、急の知らせを聞いた、青い顔をした義経が走りこんで来た。
 末期には義経はわざと呼ばれていない。が、泰衡は走り過ぎる義経を無視していた。
「葬儀の準備だ」
秀衡の体は、中尊寺中見壇下に置かれ、この平泉の守り神となる運命である。
 義経は、秀衡の遺体をかきいだき、泣いている。
「秀衡様、十六の時より、親以上の恩を受けさせていただきました。この恩を生きておられるうちにお返ししたかった」
 義経は本当に涙を流し、嘆き悲しんでいる。片腕をもぎ取られた思いがしている。
 義経は父なるものに憧れていた。物心付いた時には、父は亡くなっていた。
平清盛、そして藤原秀衡、源頼朝、後白河法皇、西行。すべて父なる人をイメージして対してきた。そして、最大のピンチのおり、最大の父なるものに死なれた。
 義経は、惚けたようになっていた。源平合戦で、あれほどの戦術家だった武将の姿は、どこにもない。心が砕け散ったようだ。いまや、日の本には義経にとって、どこも安住の地はない。

 「なぜじゃ、親父殿」
泰衡は思った。
 (なぜ、実の子の俺を可愛がってはくれぬのじゃ。奥州は我らが血の元で支配しているのじゃ。四代にわたって、京都の人間と戦こうたではないか。義経いくら優れた武将とはいえど、実の子ではない。他人ぞ。おまけに京都の人間じゃ。源氏の人間じゃ。
いかに奥州を源氏が攻めたか。頼朝と仲が悪いように見せて、何を企むのか分からぬではないか。奴らが欲しいのは、この奥州ぞ。それを西の人間の義経を信じるとは、どういうことじゃ。おまけに弟どもも俺に従おうとはせぬ。国衡など、義経を兄のように尊敬しておる。
 なぜ俺を、京都へ連れて行ってくださらぬのか。親父殿、祖父殿、大祖父殿、皆、京都へ行ったではないか。なぜ俺だけのけ者にするのだ)
京都に対する恨みと、義経に対する怒りがすこしずつ泰衡の心を、人格を変えつつあった。それは、とりもなおさず、奥州の危機であった。
戦雲はすぐそこまで押し寄せている。

■三 一一八七年(文治三年) 鎌倉
    
 秀衡死亡の知らせは、早馬で鎌倉にも伝わっている。
「どうやら、秀衡殿、お亡くなりになった様子でございます」
大江広元が頼朝に告げた。
「そうか、とうとう亡くなったか」

 広元には、頼朝が何やら寂しげに見えた。好敵手を失った寂寥感かも知れなかった。大江広元にとっては、千載一遇のチャンスに思える。
その時期を逃しては、平泉王国を滅ぼすことはできまい。気が抜けたようになっている頼朝を、勢いづけなければと思った。
「いよいよ、奥州攻めも近うございますな」
「いや、まだ先になさねばならぬことがある」
「それは…」
「わからぬか、広元。義経は平泉王国の大将軍となっておる。平泉が義経の元、一致団結をしておれば、我々も恐ろしいわ。あやつの戦ぶり記憶していよう。戦ぶりでは、残念ながら、この日本一の武者よ」
「それに十七万騎の奥州の馬があれば、恐ろしゅうございますなあ」
 よくよく考えれば、まだ平泉王国は、強固だ。
「そこで、考えよ。どうすれば、よいかをな」

「内部をもっと分裂させますか」
広元のお得意の策諜を使わねばならない。
「そうじゃ。義経さえ、差し出せば、奥州の地を安堵しようとな。そういう書状をしたためを使者に持たし奥州の泰衡のもとに出そう。のう、広元、奥州藤原秀衡は平清盛よりも恐ろしかったわ。俺の誘いに全く乗らぬ」
 広元の目には、頼朝の体がやや震えているように見えた。気のせいだろうか。それに…、広元は気に掛かることを告げた。
「例の黄金の件は、いかがいたしましょう。まだ、わが鎌倉の手元に…」
「そのこと、うちやっておけ。秀衡さえ亡くなれば、奥州すべての黄金は、我が鎌倉のものとなる。大事の前の小事だ」
「東大寺が、文句をいいますまいか」
 京都のことなどをもう気にせずばなるまいと、広元は考える。それに関しては、頼朝の方が一枚上手だった。

「何の届かなかったことにすればよいであろう。そうじゃ、黄金を、この頼朝からの贈り物としよう。鎌倉幕府の将軍として、京都へ、また南都奈良に赴かねばならぬからのう」
「それは、また京朝廷への大姫様のお披露目ともなりましょう」
 そのことも広元にとっては、忘れてはならならぬことだ。頼朝がどうであれ、京都とのパイプは繋いでおかねばならぬ。強固にしておかねばならなかった。この鎌倉幕府を完全に支配し、京都に向かせればならん。

「そういうことじゃ。きらびやかに飾り、坂東の田舎者と思われている我々が、美しく着飾った姿形を、京都の貴族どもや民に見せてやろうではないか」
「さようでございますなあ」
それには、広元も同じだ。うだつのあがらない京都の貧乏貴族の俺が、新しい治世者の一人として、都大路を従者を多数連れ、行列として練り歩けるのだ。
今度は、私が、京都の皆を羨ませる番だ。広元は、自らもきづかずに、昔の傷あとをなでていた。その額の傷は、往時の義経の凱旋行列を思い起こさせていた。

■四  一一八七年(文治三年) 京都 
 
  いまは、京都の嵯峨に住まう西行の草庵に、一人の商人姿の男が訪れていた。西行の草庵は日本の各地にある。
「十蔵、まかりこしてございます」
「おお、これは、十蔵殿。ひさかたぶりだ」
十蔵は、挨拶もそこそこに、用向きを聞いた。
 いわば十蔵は、死に急いでいるのである。
 西行からのこの度の連絡を受けたおり、いよいよ俺の死ぬときが来たかと、体が武者ぶるいしていた。無論、西行に呼ばれたことは、東大寺や重源には告げてはいない。奥州藤原秀衡がなくなった事は聞いていて,世の中が再び騒然となって来ていている。
「で、西行様、何かご依頼が」
「そうだな。……」
 しばし、西行は、無言だった。やがて、 深深と、十蔵に頭をさげていた。
「すまぬ、十蔵殿、死んでいただけぬか。東大寺のためではなくこの西行のため、いや日の本のためにな」
平然とうけとめ、十蔵はふっと笑う。
「いよいよ、お約束のときが、参りましたか」
「早急に、摂津大物が浦(尼崎)より旅立ってほしい。そして多賀城で吉次に会い、それからは吉次の指示に従ってほしいのじゃ」
「西行様はいかがなさります」
「お前様の後を追う。他に片付けなければならぬことが多いのじゃ。先に立ってくれ」
「わかり申した」
 十蔵は、すばやく、西行の前から姿を消す。
 「はてさて、重源殿が、どう動くかだが」
 西行はひとりごちた。

■五 一一八七年(文治三年) 平泉  

 平泉の高館に、泰衡の弟、忠衡が、内々で義経を訪れてきていた。
「のう、忠衡殿、私はこの平泉王国の将軍の座を、泰衡殿にお譲りしてもよいのだぞ」
 平泉王国の内紛の様子を知る義経は、自ら身を引こうとしている。が、この言葉を聞いて、忠衡は、激怒し、立ち上がっていた。
「何をおっしゃいます、義経殿。そのことは我が父秀衡が、我々子供を死の床に呼び、遺言したもの。それをいまさら…、なさけのうございます」
 最後には泣き出している。その忠衡の方に手を掛け、慰めるように義経は言う。
「私はよいのじゃ。私の存在で、この平泉平和郷が潰れることになっては困りましょう」
「それが鎌倉殿の、狙いではございませんか」
「この勝負、最初に動いた方が負けという訳でございますな」
「さようでございます。よろしゅうございますか。今、天下の大権を握れるのは、頼朝殿か義経殿か、どちらかでございます。断じて、我が兄泰衡ではありません」
 思案顔の義経と、見まもる藤原忠衡だった。

■六 一一八七年(文治三年) 京都

「静殿、今から恐ろしき事を申し上げるぞ。お気を確かにされよ」
西行は、静をたずねている。京都大原にある庵である。
静はあの事件ののち平泉から帰り、尼になり京都郊外にある大原の寺に住まっている。長くは、平泉にいなかった。というのは義経が新しく妻をもとめている。新妻は、藤原氏の外戚である。それゆえ、静は身を引き、京都に傷心で戻っていた。
「西行様、そんなに思い詰めた表情で、一体何をおっしゃるつもりでございますか」
「義経様の和子様、生きておられる」
しばらくは、静の体がふるえていた。顔もこわばっている。
「西行様、おたわむれを、冗談はお止めください。私は、鎌倉にて我が子が殺められるところを目にしております。この目に焼き付いております」
「が、その殺された和子は偽物だ」
「まさか、そのようなことが」
「よいか。静殿の母君、磯禅尼殿、しきりに下工作をなさっておった。その結果じゃ、後ろで糸を引くは大江広元殿。その企みじゃ」
「それでは、今、和子は」
「それは、おそらくは、鎌倉の、大江広元殿が知っているはず」

■七 一一八七年(文治三年) 京都藤原兼実屋敷

「お、重源殿。よう参られました。ちょうどよい機会ですな。拙宅に法然殿が参られておられますぞ」
「おうおう、それはよき機会でございますわな」
関白藤原兼実の自宅だった。
重源は雑職(ぞうしき)に、表で待つように告げる。重源は猫車(一輪車)を自からの移動に利用している。重源には雑職がいつも二人ついている。
この車で、日本全国を勧進して回っている。勧進集団五〇名を引きつれて日本全国を勧進して回っている。東大寺勧進職は、最初、法然に白羽の矢があたったのだが、法然は、重源に譲ったのだ。
藤原兼実は、法然に帰依し、兼実から噂をきいた後白河法皇も法然に寄進している。
「兼実様、もうしあげにくき事ながら」
重源は、時の関白藤原兼実にふかぶかと頭をさげていた。
兼実に不安がよぎる。
「いかがなされた。重源殿、表をあげてくれませや。そんな他人定規な、な。麻呂と重源殿の間ではございませんか。大仏再建の事、麻呂も、法皇様もあなたさまにお礼を申しあげたきくらいです。よう、よう、あそこまで大仏を再建してくださりました。で、まさか、何か大仏再建の事で、、」
重源は、しばし、頭を下げたままである。
「さようです。できれば、関白殿、拙僧は勧進職を辞退したいのです」
重源は、その精悍な顔をあげ、関白藤原兼実に言った。
「何をいわはるのですか。今この折りに殺生ですわ。無責任とでもいいましょ
うか。重源様の力を、信じたればこそ、お願いしたのやありませんか。それに民も大仏再建に熱意をもって協力しているのや、ございませんか」

この大仏再建で庶民の仏教信仰が普及してきたのは事実である。その民衆の仏教に対する熱狂のうねりを、重源もひしひしと感じている。
兼実は思い当たった。
(金がたりんという事か)
「ははあ、金(きん)ですか。でも平泉なり、鎌倉なりから届いたの違いますか、、まさか、金がおもうている程届かなかったからとか。図星ですか。でも西行殿に奥州の秀衡殿に説得していただいたのではないですか」
「いいにくき事ながら、充分ではありません」
「ははあ、西行殿の話と、秀衡殿、頼朝殿の届いた砂金と違うとでも」
「西行どの何かたくらみを」
「その話は聞かなかった事にいたしましょうか。で、今しばらく奥州の事態をお待ち下されや」
「それは、平泉が滅びる、というお考えか」
重源がたずねた。
「いや、はや、北の仏教王国平泉は、我々、京都の人間としては、滅んでほしくはありませんわあな。何しろ、仏都やさかい。しかし、頼朝殿は、義経殿の事があり、まあ、早くいえば、奥州が欲しいのでございましょうな」
「源氏の血ですな」
「我々、京都の人間としても、早く天下落居(世の中がおちつくこと)してほしいのですわな」
「平泉の仏教王国が滅んでも、日本が平和になればいいと」
「さようです。あの国は蝦夷の末裔。頼朝殿が征偉大将軍として、あの者ともを滅ぼしくれれば、日本の平和がおとづれましょう」
「今までの世とは、異なる平和でございますな」
「庶民が平和を求めている事は、勧進されながらおわかりでございましょう」
重源は考えている。
(やはり、京都は平泉をすて、鎌倉をとったか。平泉の黄金が、鎌倉の手に期すか。やはり、我々の鎌倉侵攻は早めればなるまい。栄西殿が宋からかえってくる前に体制がきまりそうじゃ。法然殿とも話あわずばなるまい。大仏再建の趨勢は、はや、鎌倉殿の手に握られたか)

■八 一一八七年(文治三年) 京都 

「磯禅師殿、失礼いたす」
西行がつづいて、京都五条に住む磯禅師を訪ねていた。
「おお、これは西行様ではございませぬか。おひさしゅうございます」
「禅師殿、和子をどうなされた」
「和子ですと、急になにをいわれます、どなたの和子でございますか」
「お隠しなさるな、静殿と義経殿の和子じゃ」
「静ですと、そのような者、私の子供ではありません。何を申されますのです。それに義経様の和子様、男の子ゆえに、すでに稲村ヶ崎で海中に投げ入れられてございます」
白々と泣く真似をしている。
「禅師殿、そなた、鎌倉の大江殿とは取引をせなんだか」
西行は眼光鋭く、厳しく追及する。禅尼は思わず袖で顔を覆い隠す。
「何を恐れ多い、鎌倉の政庁長官と取引ですと」
が、じんわり、冷汗滲んでいる。
「禅尼殿、すべてわかっておるのじゃ。もうお隠しあるな。私も和子を悪いようにはせぬ。せめて、静殿のお手に返してくれぬか」
 西行は急にやさしく言う。西行は昔の禅尼の晴れ姿を思い起こしふうと笑った。
「といいましても、静の行方、ようとしてしれませぬ」
「静殿は、私と一緒ら平泉に向う。今は義経様と一緒のはずじゃ」
「義経さまのところ、が、すでに、何人かの暗殺者が、義経殿が屋敷に」
「心配するな、東大寺の闇法師を、義経殿が元に遣わしてある。さて、禅尼殿、私と一緒に来ていただこうか」
「いずこへ」
「いわずとしれたこと、鎌倉の、大江広元殿の所だ。和子を取り戻しになあ」

■九 一一八七年(文治三年) 京都

「はてさてどうしたものか」
この時期最大の歌人、藤原定家は悩んでいるのである。藤原定家は徳大寺家の親戚であり、西行は若かかりし頃、この家徳大寺家の家人であった。
紀州田仲庄の荘園は徳大時家の預かり所である。
「そうやは、慈円さんとこに相談にまいりましょうか」
藤原定家はひとりごちた。

慈円(じえん)は関白藤原兼実の弟でもあり、いわゆる文学サロンの仲間であった。慈円は今、西行から頼まれている伊勢神宮あての歌集を清書している。
歌集は奥州に出かける前に仕上げていたが、この清書書きを慈円にたのんでいた。
西行の「しきしま道」は、一歩、完成に近づいていた。

■十 一一八七年(文治三年) 鎌倉

「これは、これは、西行殿。鎌倉に庵など持つお考えを改められたか。これからは鎌倉が日本の中心ぞ」
 数日後、鎌倉の大江屋敷に西行はいる。
 この時期、宿敵の文覚は鎌倉にいない。弟子の夢見も同じ行動をとっている。
「いやいや、私ももう年でございます。ただ広元殿だからこそ、お願いしたい儀がございます」
 西行のへりくだった様子に、広元は、かえって不信の念を抱いた。
「はてさて、この私に一体何をせよと」
「義経殿の和子、お渡しいただきたい」
「何を仰せられる。血迷われたか。静が生んだ和子は、すでに稲村ヵ崎に打ち捨てられた」
 その答えに西行は、にやりとして、
「広元殿、このこと頼朝殿にもお隠しか。が、私の耳には入っており申す。よろしいか、広元殿。私の後には山伏が聞き耳、縁糸を、日本全国に張り巡らされてござる。広元殿のこの子細、頼朝殿の耳に入れば、今は鎌倉政庁の長官といえども、どうなるかわかりませんぞ。富士の裾野のこと、お忘れではござりますまい。頼朝殿の勘気に触れれば、その人物に用なくば、すぐ打ち捨てられましょう。このこと、唐の歴史に詳しい広元殿なら、おわかりのことでございましょう」
西行の恐ろしさが広元の体の中に広がって行く。
(ここは西行におれて、味方に加えるは一策か)
広元は、真っ青になり、おこりのようにぶるぶる震えた。広元は書状をしたためた。
「ええい、西行殿、和子を早々に連れていけ。預け先は、この書状に記してある」
「ありがとうございます」
西行に笑みが浮かんでいる。
「が、よいか西行殿。この和子、決して世の中に出すではないぞ。頼朝殿の元に、すでにこの日本は統一されたのじゃ」
 投げ捨てるように言う、大江広元。
西行に逆に凄んでいるのだが、いかんせん迫力が違った。

■一一 一一八七年(文治三年) 多賀城

 多賀城国府にある吉次屋敷では、京都から到着した西行と吉次が言い争っていた。
「吉次殿、恩をお忘れか」
 顔を真っ赤にして、西行が喋っている。
「恩ですと、何をおっしゃいます」
「いや、お主が金商人として有名になれたのは、誰のお陰じゃと聞いておる」
 畳み掛けるように、西行は喚いた。が、吉次の答えは冷たいのだ。
「それは、私には備前のたたら師の息子として育ち、その関係から姫路へ、岡山へそして、回船鋳物師の船に乗り、この多賀城にたどり着き、商売を始めたからでございます」
「吉次殿、再度申し上げる。お主が、藤原秀衡様にお目もじできたのは、誰のお陰じゃと聞いておる。また、平相国清盛に照会され、宋のあきうどと取引できたわ誰のおかげじゃ」
 西行の目には、怒りが込み上げてきている。
「それは西行様のお陰でございます」
「そうじゃろう。私が、京でお主を助けたこと、忘れたのではあるまいな。ましてや、書状を持って、秀衡様に会いに行ったのを忘れたのではあるまい」
「……」
吉次は、具合の悪いことを思い出し、黙っている。
「一時期、京都の平泉第(平泉の大使館)の頭目となれたのは、誰のお陰だと思っている。それが時代が変わりましただと。私は昔の金売り吉次ではございませんだと。お前は備前あたりの鋳物師で終わったとしても、詮無いことだったのだぞ。私がお前の出雲で覚えた、そのたたらの技術を知っていたからこそ、秀衡殿に推挙したのじゃ」

 西行の怒りは頂点に達している。二人は、お互いを無言で見つめあっている。とうとう吉次がおれた。
「わかりました、西行様。それで、この私に何を」
「よいか、平泉の義経殿を助けるのじゃ」
西行の息が荒い。
「えっ、義経様を……」
驚きの表情が、吉次の顔に広がって行く。

■一二 一一八七年(文治三年) 平泉

 奥州平泉、高館屋敷で寝ている義経の枕元に、異形の者が現れていた。義経は、気付いて起き上がり、とっさに刀を構えていた。
「何者じゃ」
「さすがでございますな。義経様、お静かに願います。私は東大寺闇法師、十蔵にございます。ここに西行様からの書状を携えてございます」
 十蔵は書状を差し出している。

「なに、西行殿の…。おう。お主は十蔵どのじゃな」
義経は、先日にあった十蔵の事を思い出し、書状をあらためる。
「西行様に、秀衡様からの密書届いております」
「秀衡様の密書、何ゆえに西行殿の手に」
「秀衡様のお子様たちのことを考えてのことでございましょう。西行様と京の後白河法皇様。すでにご相談なさっておいでです」
「して、何と」
「義経様、この平泉で死んでいただきましょう」
十蔵は冷たく言い放った。
「何を申す」
義経は驚いている。

「よろしゅうございますか。鎌倉に、静様の和子様、生きておられます」
 加えて、驚くべきことを、十蔵はさりげなく言う。
「なに……、それは誠か。して男の子か」
 義経の驚きは、喜びに変わっている。
「はい、さようにございます。今は大江広元様が手の者が、育てております。また、この事は、頼朝様はご存じではありません」
「大江殿が…。つまり、兄者が平泉を攻める時の人質という訳か」
 義経は考え込む。
「いえ、頼朝殿の策は、泰衡様に義経様を打たせるおつもり…」
「む、何と、兄者はなんと汚い策をお使いになるのか。それで、我が子はどう
いう策に使われるのだ」
「おそらくは、義経様を平泉の武士たちと団結し、頼朝殿に当たらせないがため…」
「さすれば、私はどう動けばよいのじゃ…」
義経は悩む。もうあの源平の戦ではないのだ。この平泉の義経は別人のごとくなのだ。

「私が、義経様の身代わりになって、この地にて果てさせていただきます。義経様は平泉からお逃げ下され」
 十蔵は冷静に答える。義経が驚く番だった。
「何だと、私には縁のないお前が…代わりに討たれるだと」
「さようでございます。西行さまの命令でございます。十蔵のこの命、東大寺のもの。すでに闇法師となった段階ですてて降ります。義経様はご存知あるまいが、私は源平の争いですべてを失っております。魂の抜け殻でございます。よろしゅうございますか、義経様。このときに乗じ、蝦夷へ落ち伸びてください。吉次殿が手の者が、お助けするでございましょう」
「十蔵殿」
義経は言葉がでてこない。何ゆえにこの男は、私のために、そして、吉次殿。「吉次殿が、私を助け出すといわれるか……」
ようやく、言葉を発した。何かの感動が、義経の心をとらえている。

第五章 完


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